Murder of Japan

もともと日本の事件にはそれほど興味のなかったわたくしですが、近々”裁判員制”が導入される事を受け ここで戦後〜近年起こった
猟奇事件を振りかえってみようと思います。皆様の記憶にも新しい事件 聞いたことがあるような事件 知らなかった事件を何件か挙げてみます。

猟奇殺人とは...我々が考えられる範囲の動機や殺害方法の殺人に比べ 常軌を逸している殺人。異常な殺人。快楽殺人、バラバラ殺人などこれにあてはまる。

では、日本で起こった有名な事件を3つ。


宮崎勤

1962年8月21日 埼玉県裕福な家庭(地元の名士の家)に生まれる。
4歳の時に「とう尺骨癒合症」と診断される。
幼少から内気で友達が少なく 高校に進学してからは成績も落ち、短大卒業後 就職しても続かず実家の印刷会社を手伝っていた。1988年5月 彼の唯一の理解者であった祖父が死去。
通夜で暴言を吐き、遺骨を口にした。
犯行はこの3ヶ月後から始まる。


     


佐川一政

1949年4月26日 神戸に超未熟児で生まれる。
幼少時 叔父に聞かされた人食い巨人の話に引き込まれ、悪夢を見るようになる。1年遅れで小学校に入学。最初に食べたいと感じたのは小学1年の少年だったと語る。中学に入り英語・国語と優秀な成績を修めるが体のコンプレックスからか自閉的になる。この頃から映画で観た西洋女性の美しさに憧れ カニバリズムのテーマの短編小説を書き始めた。15歳の時、電話で精神科に相談したが、あまり相手にされずそのまま。1969年和光大学へ。1974年関西学院大学大学院に入学。76年修士課程卒業。1977年渡仏。


少年A(酒鬼薔薇聖斗)

1982年7月7日 神戸市北区で生まれる。
両親祖母弟の5人家族。1993年祖母の死後、死について深く考え込むようになった。小学5年で破壊神「バモイドオキ神」を信奉するようになり、昆虫や小動物を殺し始める。またホラー映画にのめり込む。小6になると 友人らと万引きを始める。それも、凶器となる かなずち・ナイフ・鎌・ハンマーなどばかり。他の児童に対しても攻撃的ないたずらを仕掛けるようになる。
   

連続幼女誘拐殺人事件 ジャパニーズ・カニバル・サガワ
パリ留学生人肉食事件
日本を震撼させた少年犯罪
神戸猟奇殺人事件
1988年8月 埼玉県で3人(Mちゃん、MAちゃん、Eちゃん)の幼女が続々と行方不明になる。
12月 Eちゃんの全裸死体が山林で発見される。Eちゃん宅に 「E(幼女の名前) のど かぜ せき 楽 死」と書かれた奇妙なハガキが、 Mちゃん宅には「M(幼女の名前)・遺骨・焼・証明・鑑定」と書かれた紙切れと骨片が送られてくる。
1989年2月Mちゃんの事件に関し, 朝日新聞とMちゃんの自宅に"今田勇子"の名で犯行声明が送られてくる。3月「今田勇子」より新聞社と自宅に告白文が送られてくる。 6月 東京都でAちゃんが行方不明に.なり、5日後、霊園のトイレ脇でAちゃんの胴体が発見される。翌月 幼女の裸写真をとっていた宮崎勤(当時27歳)が強制わいせつ罪で逮捕される。8月、宮崎は、Aちゃんの誘拐殺人を自供し、東京都内で頭部が発見される。以後、次々と自供を始め、幼女たちの遺体が発見された。また 捜査本部が宮アの自宅を家宅捜査したところ、犯行の一部を撮影したビデオやカメラ、エログロビデオ・アニメ・アイドル雑誌など6000点見つかる。
また、幼女の死体を焼いた現場で、骨に愛撫するなど犯行の異常性が改めて確認された。*今田勇子は「今だから 言う」を文字って名付けられたとも言われた。2度の精神鑑定を受け 「人格障害」 「心神喪失か心神耗弱」だったと主張したが 1997年4月14日死刑判決。控訴するが 2001年6月控訴を破棄。2審も死刑判決となる。2006年1月17日 最高裁の判決で死刑確定となった。
2008年6月17日 死刑執行。(絞首刑)
最後まで被害者や遺族に対し謝罪の言葉は
なかった。
1981年6月11日 パリ第3大学に留学中 自宅にドイツ語を教えにきていた同大学のオランダ人女性(25)を銃で射殺。朦朧とした意識の中、血だらけの彼女の遺体を裸にし、尻にかぶりついたが、堅い皮膚によって食いちぎる事は出来なかった。肉きり包丁を用意し、肉片を切り取った。厚い脂肪の下の赤身はトロのように柔らかく、次に太腿の肉を切り取り食した。彼はついに長年の夢であった美しい白人女性を食するという願望をかなえる。このとき 思いつき(と言っている)で死姦も行う。バスルームで遺体をばらばらにし、太腿・臀部の部分を残し、紙製のスーツケースに詰めこみ、タクシーでブローニュの森に捨てる。ブローニュの森でカップルがこの遺体を発見し、警察に通報。タクシーから足がつき、犯行後わずか4日で逮捕される。警察の自宅捜査で冷蔵庫に遺体の肉片が見つかり あっさり罪を認める。敏腕な弁護士のお陰で 心身喪失を裁判で認められ 「不起訴処分」 。アンリ・コラン精神病院に収容され3年後帰国。現在、日本にて 持病と戦いながら 作家として活躍している。









参考図書:「饗cannibal」

1997年5月 神戸中学校校門前に 顔を切り刻まれた生首が置かれていた。口にくわえた紙切れには 「さあ、ゲームの始まりです..愚鈍な警察諸君、僕を止めてみたまえ 僕は殺しが愉快でたまらない人の死が見たくて見たくてしょうがない 汚い野菜共には死の制裁を 積年の大怨に流血の裁きを SHOOLL KILL 学校殺死の酒鬼薔薇」というメッセージが書かれていた。同日、近くのタンク山(俗称)から 胴体が発見され 行方不明になっていたJ君であることが判明した。マスコミ・メディアの報道は加熱し、連日この事件を報道していた矢先、神戸新聞に酒鬼薔薇聖斗より第二の挑戦状が届く。 自らを透明な存在と表現し、1人の人間を2度殺す能力が備わっていると書かれていた。事件の起こる数ヶ月前から子供を狙った暴行事件・殺傷事件が多発しており 捜査は困難をきたすと 懸念されたが、1ヶ月後 容疑者は逮捕される。中学3年14歳の少年、彼の名は「少年A」 本名が明かされる事は無かった。1997年2月・3月 自転車で通り過がりの少女にハンマーで側頭部を強打したり、道を聞く振りをしてナイフで刺していたことが判明。彼が起こした事件は全てバモイドオキ神への報告日記に綴られていた。
1997年10月17日神戸家庭裁判所は 少年に対し医療少年院送致を言い渡した。2001年 東北少年院にて矯正教育・社会復帰のプログラムを受講し 溶接工の免許を取得。「不安の種は消えず」と神戸家裁は2004年末まで保護処分を継続した。現在、社会復帰していると思われる。


・未成年を対象とした事件

栃木女児殺害事件
(未解決事件)
2005年12月1日午後2時ころ、栃木県 今市市立O小学校1年Yちゃん(7歳)が小学校を友達と徒歩で下校し、PM2時50分頃 今市市土沢地内で友達と別れた後行方不明になり、12月2日PM2時ころ、茨城県常陸大宮市東町地内のおおみや広域聖苑南東約450メートルの山林内において遺体で発見される。遺体の手足に粘着テープで 縛られた跡があり、遺体には犯人のモノと思われる微量の体液(唾液・汗・皮膚片)が付着していた。凶器は刃渡り10センチ以上の鋭利な刃物が使用されたとみられ、心臓を中心に12カ所  列を作るように規則的に並んだ刺し傷があった。 複数の傷が背中に達しており、犯人は女児が抵抗できないように縛った上で押さえつけ、 かなり強い力でメッタ刺しにしたものとみられている。司法解剖の結果、女児の死因は失血死と判明したが、体内には血液はほとんど残って いなかった。衣服、ランドセル、凶器もいまだ発見されておらず、捜査本部は犯人が 女児を連れ回して殺害。その後、遺体を運んで遺棄したものとみている。このほか、胃の内容物からはお菓子の成分が検出された。女児が学校にお菓子を 持っていくとは考えにくく、犯人が買い与えた可能性が高い。
佐世保同級生殺害事件 2004年6月1日、佐世保市立大久保小学校で6年生A子が同級生C子さんにカッターナイフで頚動脈を切りつけ 失血死に至る事件が起こった。A子はC子さんと仲の良い友人で、お互いミニバスケットに所属し、(退部も同じ時期)
もう一人の友人を加えたチャットでお互いに情報交換など交流を深めていたが、最近C子さんとA子の中でトラブルが発生した。それを根に持っての犯行。A子は6月15日から3ヶ月弱かけて精神鑑定を受け、9月15日 長崎地裁佐世保支部は家裁送致されたA子を児童自立支援施設での2年間の保護処分を決めた。
長崎園児殺害事件 2003年7月1日、長崎市内にある大型電気店2階の試供ゲーム機で遊んでいた男児Sちゃん(4歳)に市内中学1年生Aが
「お父さん、お母さんを探そう」と話しかけ近くの立体駐車場7階に連れて行き、児童を裸にした上で 性器を鋏で傷つける。
駐車場に設置された防犯カメラに動揺し、児童を7F手すりから突き落とす。児童は脳挫傷により死亡。Aは9月長崎家裁により児童自立支援施設へ送致された。
大阪池田小学校事件 2001年6月8日、大阪教育大学付属池田小学校校舎に出刃包丁をもった宅間守(37歳)が侵入し、低学年の女子7人、男子1人を殺傷し、児童13人教師2人に重軽傷を負わせる。精神病歴があった宅間だが、大阪地裁は精神鑑定後、刑事責任能力を認定し2001年9月起訴する。2003年8月28日死刑判決。弁護団は控訴したが、宅間本人が取り下げた。2004年9月14日異例の速さで死刑が執行された。
佐賀西鉄バスジャック事件 2000年5月3日12時56分発 福岡天神行き高速バス「わかすく号」が13時35分 17歳少年Aは牛刀を手に「天神に行くな。このバスを乗っ取ります」と言うと 乗客を後ろに集める。「言うことを聞かないと殺します」とAは脅し この状況に気が付かず寝ていた34才女性に「不貞寝している」と持った牛刀を首に突き立てた。14時47分北九州門司区SAでトイレ休憩をとった女性が非常電話で日本道路公団に連絡 日本道路公団が警察に通報して この事件が公になっていった。
バスが福岡から山口へ向かう途中 男女が窓から飛び降り骨折、その後見せしめに 1人の女性が顔を切りつけられる。
少年は1番前の席に 6歳の少女と座り 警察やマスコミを馬鹿にするように常時うすら笑いを浮かべていた。
午後4時になると Aは「拳銃、防弾チョッキ、給油、簡易トイレ」など次々と要求。警察の説得に応じ、人質が徐々に開放されていった。翌朝午前五時3分 Aの隙をつき凶器を奪い、SAT(特殊急襲郡隊)がAを押さえつけ 人質を全員解放。死亡者1名重軽傷5名の 凶悪なバスジャック事件となる。2000年9月29日第四回審判にて佐賀家裁は 「医療少年院送致保護処分に処す」と決定。10月2日京都医療少年院へと身柄を送致される。2006年1月 医療少年院を仮退院した。3月まで保護観察。
大人しく、優秀な彼は友達が少なく 中学3年でいじめに合うようになり、家庭内暴力(被害者は主に妹)が始まる。
腰椎圧迫骨折(いじめが原因)で入院した彼は病院で受験し 県内の進学校へ合格するが、不登校が始まり、部屋にこもりきりになり、1年で中退。パソコンをほしがった彼に親は「夢中になれるものがあれば」と買い与え Aはネットの世界にのめり込んでいく。様子が気になった母親は Aが父親とドライブに出かけた隙に 部屋の中を覗いてみた。そこからは大量の刃物、スタンガン、催眠スプレー 「学校に立てこもり人を殺す」など 犯行声明が書かれた手記が見かる。不安になった母親は児童相談所や精神病院など相談するがあまり相手にされず (精神病院の)入院も断られる。困り果てた母親は 藁をも掴む思いで当時ラジオを番組を担当していた精神科医に助けを求め、彼の助言により どうにか入院出来るようになった。 しかし、この入院先の病院の一時帰宅時に この事件は起こったのである。少年Aは 某大型掲示板で「ネオ麦茶」と名乗り 犯行をネットで予告して出かけている。
市川一家惨殺事件 1992年2月12日 千葉県市川市 少女(15歳 高校1年生)は深夜コンビニでシャーペンの芯を買い、帰宅途中後ろからきた車に追突される。 軽傷を負った少女を運転手の少年(関 光彦)は 車で救急病院へ連れて行き 治療を受けさせる。治療後、少女は自宅へ送ってもらえるものと思っていたが 車の中で豹変した関はナイフで脅し 男のアパートへ連れ込み 欲望のまま少女を2度犯す。解放する際、現金を奪い生徒手帳より少女の住所・氏名を控えた。3月5日 それまでに何度か電話を入れ少女のマンションに探りをいれていた関は 留守を狙い 忍び込む。居間で金品の物色をしていたが、祖母が在宅なのに気付き 祖母に通帳を要求 「コレをやるからかえりなさい」と窘められる。頑として通帳の在り処を言わない祖母に対し 痛い目にあわせようと凄むが 逆に唾を吐きかけられ逆上。突き倒し馬乗りになり引き抜いた配線コードを首に巻きつけ絞殺。洗面所で 頭、顔、手、足をきれいに洗い流した後 30分ほど外で過ごし自動販売機でジュースとたばこを買い再びマンションへ戻る。金品を物色していると 少女と母親が帰宅。包丁で脅ししても怯まない母親に半ば恐れを懐き 2人を居間にて俯せにし 所持品を全て出させると 刃先を母親の腰深く数回突き刺した。血だらけで這いずりのた打ち回る母親に「あ〜あ 血が付いてしまうだろぉ〜」と脇腹を一蹴。少女に母親の血と失禁の処理をさせる。しばらくして 4歳のYちゃん(仮名)が保育園から戻ってくる。祖母の部屋で TVを見せ少女が作った夕食を3人で摂った。Yちゃんを祖母の死体と休ませ、関は 少女を犯しにかかる。「服を脱げと命令する」が母親を惨殺され 恐怖に手が震え服を脱ぐことが出来ない..業を煮やした関は 少女を突き倒し 無理やり犯す。強姦途中チャイムが鳴り 父親が帰宅。関は慌てて服を着 包丁を持ち食器棚に隠れる。 少女の就寝を確認した父親の背後から 左肩を包丁で刺し貫き、ヤクザのフリをして200万を要求。通帳の在り処を聞き出す。多量の出血と痛みに耐えながら (祖母と母親の死を知らない)家族の命を第一に考え 事務所に通帳を置いてあることを話す。少女に事務所に電話させ 社員に通帳を取りに行く旨を伝えた。少女と関はエレベーターに乗り会社に向かおうとしたが..再び マンションに戻り 台所で立ち上がろうとしていた父親の背中を一突きとどめをさしてから 会社に向かった。事務所で通帳を受け取った後 社員に「ヤクザがお金を取りに来ている」と伝え 男の車に戻った。そのまま 市川市内にあるラブホテルに連れ込み 通帳の金額を確認。ココロもカラダもぼろぼろの彼女を数時間犯し続ける。4時間ほど眠ったあとマンションに戻る。祖母の部屋で布団の上に座り 背中を向けて泣いている4歳のYちゃんに「うるせぇ」と怒鳴りつけ 背後から左手を回して顎をの辺りを掴み 小さな背中から一気に突き入れた。包丁は小さな体を貫通し胸まで突き抜けた。Yちゃんは「いたい。いたい」と 弱弱しい声で 苦しげにもがいた。関は 「妹をラクにしてやりな 首を絞めるとか方法あるだろう」と言い 凍りついて動けない彼女の前で Yちゃんの小さな首を絞め絶命させた..今まで 恐怖と絶望で男の言うことに逆らうこともしなかった少女の何かがプツンときれた。「どうして妹まで刺したの。何でこんなことするの」関は 突然の少女の反抗に 逆上し包丁を振り回し 左腕と背中に2週間の傷を負わせた。6日午前7時 心配した父親の事務所の社員が自宅に電話。少女の対応に不審を感じ警察へ通報。社員と警察官が駆けつけた。 一方、人の気配を感じた関は 少女に包丁を握らせ「おれは 逃げるからな。これを持って、俺を脅せ」 放心した彼女の反応はない。「わかっているのか!」叫んだ瞬間 大勢の警官がなだれ込んで来る。「おれじゃねぇ!おれはやってねぇ!」血だらけの死体が転がる中 関は数人の警官に押さえ込まれた。その後 少女は保護され 14時間にわたって繰り広げられた惨事は幕を降ろした。弁護士側は”暴力団に脅されて200万を要求されたため已む無く行った犯行””母親が妊娠時摂取した黄体ホルモンの影響””少年が育ってきた環境(父親からの虐待)”など 無期懲役が妥当と主張したが 裁判官は 「暴力団関係者から要求された金銭を工面するための犯行で、動機に酌量の余地はなく4人の生命を奪った結果は極めて重大」と指摘。「犯行時、被告が少年だったことなどの事情を考慮しても死刑はやむを得ない」と述べた。このような残虐な事件を起こしていながら 1審で死刑判決が出るまで 死刑になるとは考えてもいなかったらしく出所後の社会復帰に備え母親に教科書・辞書・参考書を差し入れしてもらい 勉強に勤しんでいた。その考えの根底には3年前に起こった女子高生コンクリ事件の加害者がわずか5〜20年の懲役で済んだことにある。「あれほど残酷な事件をおこして20年で済むんだ。それに比べれば 自分は長期間でもないし、凶器も持ち込んでいない 頭の中身もまともだ」と考えていた。しかし、 1994年8月 一審で死刑判決 控訴するが破棄され、2001年12月最高裁判所 死刑確定 
少年犯罪で死刑判決が言い渡されたのは永山則夫連続射殺事件以来である。
2007年2月 まだ死刑執行は行われていない。東京拘置所の片隅で、静かに刑の執行を待っている。。
参考文献:殺し殺されることの彼方/壊れた少年/19歳の結末:一家4人惨殺事件
戦前・戦後猟奇殺人
首なし娘事件
日本のエド・ゲイン
1932.2.8朝 名古屋市西区米野町の鶏糞納屋を所有する中島卯三郎の息子が 納屋内で鶏糞とは違う魚の腐ったような異臭に気付く。不審に思い 臭いの元を辿ると 納屋の空き場所に首のない女性の死体を発見する。すぐさま警察を呼び死体を検証てみると 遺体は両方の乳房と局部が切り取られ、腹が切り裂かれていた。遺体の横には 凶器と見られる出刃包丁 遺留品の数珠・赤い靴・写真 増淵倉吉名義の保険書や封筒があり被害者がMさん19歳と判明する。Mさんは倉吉の妻のもとへ裁縫を習いに通っていて 倉吉とは親密な関係であった事がその封筒からわかった。倉吉の行方を追っているなか 木曽川に 女の首が浮いていると知らせがあった。  その首は 上唇と顎の肉がなく 耳は切り取られ  両眼ともえぐりとり 髪を皮膚ごと剥ぎ取とった見るも無残な残骸と化していた。3月4日 犬山橋の掛茶屋に掃除にやってきた船頭が Mさんの頭髪をかぶり 下着を身につけた倉吉の首吊り死体を発見する。洋服の右ポケットには眼球 左ポケットには耳が入っており 冷蔵庫の上には腐った乳房が 中には局部が置いてあった。
玉の井バラバラ事件 1932.3..7 東京都墨田区寺島5丁目〜6丁目私娼街通り 玉の井十二間道路わきにある 通称「おはぐろどぶ」に子供が下駄を落とす。兎に角真っ黒で下が見えないこのどぶに呉服屋のおじさんが棒でどぶをかき回していると 黒い水面に血が広がり ハトロン紙包まれに麻紐で縛られたモノが棒に引っかかる。交番で巡査を呼び 恐る恐る開くと中から男の首が現れる。腰が入った包みがもうひとつ。西側のどぶからは胸部が見つかる。あたりは野次馬で騒然となり 警視庁から捜査一課、鑑識含め数名がやってきて検証が始まった。首・腰・胸の切断面・鼻・口に綿が詰められ、火鉢の灰がつけてあった。(翌朝、新聞によってバラバラ事件と報じられたが この事件が八つ切り死体を”バラバラ事件”の語源である)手がかりは一向に掴めず、懸賞金がかけられ 探偵作家も動員し推理を展開する(江戸川乱歩も協力)。8ヶ月たち被害者の身元が判明し、犯人も逮捕に至る。犯人は本郷湯島新花町に住む長谷川市太郎、次郎、たみ。ボロボロの家に住む長谷川一家は子供たちの日給で細々と暮らしていた。たみは男に捨てられ身重、母親は病気がちこの一家は不幸のどん底だった。ある日 市太郎は(被害者)千葉龍太郎と娘キクを浅草公園で見かける 無精ひげやつれ顔 見るからに浮浪者の男に 子は「お腹がすいたよう お腹がすいたよう」と泣いている。可哀想に思った市太郎は 日給とタバコを男に与えた。その話を家ですると母親も妹も男を不憫に思い 交代でその公園に行き握り飯を与えた。結局千葉とその娘は長谷川一家に厄介になることに。始めこそ感謝し誠意をみせた千葉だったが 次第にその本性を見せ始める。たみといい仲になった男は、家には金をいれず、たみの子は衰弱死させ、家族にも暴力をふるうようになる。2月13日 仏壇に手を合わせるたみに殴りかかる千葉をみて 市太郎は我慢の限界を超えた。 スパナで後頭部を殴り、それに 次郎・たみも加わり絞め殺した。後日、2日かけて死体を解体し、おはぐろどぶに捨てた。残りは次郎の勤めていた帝大の土木教室に捨てた。世間の同情を集めたこの事件の公判は1934〜1935年にかけて行われ 市太郎懲役12年、次郎懲役6年、たみ懲役6ヶ月執行猶予3年の判決がでた。
・小平義雄事件
日本のアーサー・シャウクロス?
1946.8.17 東京芝区増上寺の裏山にて全裸の女性A子と白骨化した女性B子の遺体 2体が発見される。A子の身元が判明し 日記を調べたところ 小平義雄の名前が浮上。呼び出し 事情聴取したところ あっさり犯行を自供し、2件の犯行を認め逮捕となった。小平は他にも起こした淫楽殺人事件を自慢話でもするように続々と話し始めた。戦場で繰り返した殺戮と強姦。戦後、自分の欲望を満たす為に 戦災で荒廃した場所で安い米を餌に若い女性を誘い出し、毒牙にかけていた。1932年 先妻の父親を撲殺・他6人を傷つける。15年の判決を受けたが 恩恵に与り1940年仮出所。再婚後も犯行を重ね わかっただけでも1年余りで10人の女性を 強姦・殺害している。
1948年11月最高裁で死刑判決。1949年10月死刑執行。
古谷惣吉連続八人殺人事件 1965.11月 滋賀.・福岡・兵庫と広域に渡って中高齢者の絞殺死体が発見される。同年12月京都にて廃品回収業者 60代2名の絞殺死体が発見され 現場から前科のある古谷惣吉の指紋が検出された。前回の事件と同犯人とみて指名手配するが 西宮市の廃品回収業者の老人を襲って殺害した直後 警察より職務質問を受け現行犯逮捕。あっけなく事件は幕を下す。1914年生まれの古谷は4歳で母親を亡くす。
父は朝鮮に渡り 親戚に預けられた古谷は 盗みと暴力にまみれた小・中学校時代を送る。16歳で少年刑務所に入った彼は その人生の大半を刑務所で過ごすことになる。出所しては 自分と同類の貧しい老人たちを殺害し 小銭、汚れた衣類、食べ物を盗んだ。1978年死刑判決。1985年5月死刑執行。その間身寄りのない 友人もいない古谷は元刑事にあてて短歌を送る。
「恩恵を背負いてのぼる老いの坂、重きにたえず涙こぼるる」
・18歳少年ライフル事件 1965.7.29 厨房見習い片桐操は拳銃を奪う目的で偽の110通報する。神奈川県山林に警察を呼び出し、ライフル銃で射殺。他の警官にも重症を負わせ逃亡し、渋谷の銃砲店に押し入る。店員を人質に取り、警官や一般市民にライフル110発を発射し16名に重軽傷を負わせる。
ガス弾を店内に打ち込み 店員を盾に出てきた片桐を逮捕。逮捕後、片桐は「銃を思い切り撃ちたかった」と供述した。1972年死刑執行。
・大久保清事件 1935.群馬県高崎市で 国鉄公務員の父を持つ地元の資産家の三男として生まれる。両親は彼を「ぼくちゃん」と呼び溺愛した。好色な父親に似たのか19歳で窃盗、20歳で強姦致傷を犯し2年10ヶ月刑務所に入る。仮出所後の23歳で結婚。2人の子に恵まれるが1967年強姦致傷で再び刑務所へ。妻とは離婚となる。1971年仮出所後両親からせびった金で高級スポーツカーを購入。ベレー帽をかぶり ルパシカを着、詩集や文学書を携え 画家や英語教師に成りすまし 「モデルにならないか?」車から若い女性をに声をかけた。150人近くの女性を誘い、30人以上の女性と関係をもった。うち途中で反抗した8人の女性を殴り倒して絞殺。高崎市内の工業団地や山麓などに埋めた。1971年5月 誘拐の容疑で捕まった大久保は犯行を自供。1976年1月22日死刑執行。
三菱銀行猟銃強盗殺人事件 1979.1.26 大阪市住吉の三菱銀行に黒いチロル帽を斜めにかぶり黒い服・サングラス・マスクという井出達の男が 無造作にバックから猟銃を取り出し「5000万円だせ」と天井に一発発砲する。猟銃を手で避けた行員を躊躇なく射殺。駆けつけた警察2人と反抗的な行員2人を射殺し、3人に重症を負わせる。客と行員37名を人質に立てこもる。犯人梅川照美(30歳)は銀行の行員たちを出入り口に並べ人間バリケードを作り、「ソドムの市を味わせてやる」と女子行員に全裸を命じ 扇形に並べ盾代わりにした。また人質に 重症の行員の耳をナイフで切るように命じた。大阪府警は四国より74歳の母親をヘリコプターで連れてきて電話による説得を試みたが 梅川は激怒して話しにならなかった。27日になると 少し落ち着いたのか 食事と交換に人質を何人か解放したが 依然として膠着状態が続き、28日午前8時過ぎ 限界に達した警察側は狙撃班5人に突入命令を出し 狙撃班は死角の位置から発砲。3発が梅川に命中し その場に倒れた。運ばれた病院にて死亡する。
1948年広島生まれ一人っ子 両親の離婚後 母子家庭で育つが性格は粗暴。中学卒業後 職を転々とし 16歳前に やめた会社の社長宅へ侵入し 強盗殺人。中等少年院に1年入り 出所後大阪でバーテン・取立て人などをして暮らしていた。大藪春彦のハードボイルド小説を読み漁り 体を鍛え、猟銃の練習に没頭した。販売業に失敗し、借金を作った梅川は 今回の犯行を計画したと思われる。
・深川通り魔事件 1981.6.17 東京深川にて覚せい剤常用の鮨職人川俣軍司(29歳)が就職を断られたのに逆上して刺身包丁を振り回し 商店街で主婦や子供4人を刺殺。女性を人質に中華料理店に立てこもる事件が起こった。7時間後に川俣は逮捕、人質は解放された。白いパンツ姿で逮捕される川俣軍司の姿は 滑稽さの裏側に 得体の知れない覚せい剤の恐怖を見せ付けられた事件。1982年12月 判決は心身喪失による無期懲役。
・練馬一家5人殺人事件 1983.2月不動産鑑定士の朝倉幸治郎(48歳)は競売にかけられた物件 東京練馬 大泉学園を1億6千万で落札する。資産を担保に銀行から借り入れ所有移転登記を済ませると 4月には渋谷の不動産屋と売買契約が成立した。木造2階建てのその物件には Aさん一家(6人)が住んでいた。落札と同時に 何度も立ち退き交渉を始めていたが いろいろと口実をもうけ一向に立ち退かない。最後には 「この件は弁護士に任せた」と ドアも開かないようになっていった。売買契約が成立し 明け渡さないと 違約金が内金の倍発生する。銀行から借りた金の利息も1月100万かかる。朝倉は 居直るAさんに立ち退きを迫りながら 不安と憔悴の日々を送っていた。「自分は何一つ間違っていない。悪いのはあいつらだ。もう殺すしかない..」6月27日 ついに朝倉はAさん宅に押し入り 妻を金槌で殴り殺し、二男・3女を殴、絞殺。帰宅した次女も絞殺した。夜帰ってきたAさんは我が家の懺悔に凍りつく。朝倉は Aさんに延々30分 自分の正当性を語り、殴り失神させた後 鉞で切りつけ 失血死させる。朝倉はAさんの死体を1日かけ ばらばらにして 肉挽機でミンチ状にした。逮捕後 朝倉は警察に「自分は正常です。自分の行動に間違いはなかった。妻と子はかわいそうだったが...」と落ち着いた表情で語ったと言われる。1996年 死刑確定。2001.12.27死刑執行。この事件をモチーフに 野沢尚が小説を書き・2005年映画「深紅」となった。主人公は生き残った長女。実に興味深い。
・藤沢悪魔祓い殺人事件 1987.2.20 神奈川県藤沢市 主犯とされる小沢茂夫(39歳)と共犯の中村房江(27歳)は、「悪魔がとりついた.祓ってほしい」と訴える被害者のH(房江の夫32歳)さんに「悪魔払いを行う」と言い、3本のローソクを灯した祭壇の前で 体に清めの塩をかけながら小沢とHさんは見つめあった。 苦しみだしたHさんを2人は布団の上で押さえつけ絞殺する。その後 ”悪魔払いの儀式”と称し ガラス戸にシーツを掛け、6畳の床にもシーツを敷き、儀式道具の包丁・ハサミ・カッターナイフ・ビニール袋を並べた。まず始めに房江は悪魔がとり憑かないように 頬に傷を付け塩を塗りこんだ。Hさんの作った”救世の曲”をBGMにし 茂夫と房江は死体を挟んで向き合った。腹を裂き内臓を塩で清める。その後内臓を取り出し 台所で切り刻み排水溝に流し捨てる。首・胴体・両足と続々とばらばらにしていき それらの肉を細かく切り刻んだ。BGM ”救世の曲”を口ずさみながら...この儀式は3日3晩続く。25日の夜 心配したHの両親 バンド仲間 房江の母が小沢のアパートを訪ねる。大家に合鍵で開けてもらった部屋はこの世の地獄と化していた。急いで警察に通報。しかし 2人は警察が訪れても 一心不乱で頭部や足の肉をそぎ落としていた。死体損壊の罪で現行犯逮捕されたが 肝心の死体が損壊されていて 殺害方法や死因が特定できず 2人の自供で絞殺が判明した。
1992.5.13横浜地裁は小沢懲役14年 房江懲役13年の判決を下した。
妊婦切り裂き殺人事件
(未解決事件)
1988.3.18 名古屋市中川区PM7時半 夫のKさん(31歳)が自宅マンション(2階建て2F)に帰宅したところ 玄関の鍵が掛かっておらず キッチンの方からかすかに赤ん坊の声が聞こえた。真っ暗な中居間に行くと 妻のTさん(27歳)が頭を南にして仰向けに倒れていた。開かれた脚元には男の赤ちゃんがいた。臨月迎え 出産予定日を5日過ぎた妻が自宅で出産してしまったのかと思ったKさんは妻に呼びけるが返事がない。よく見ると両手を後ろ手に縛られ 首には電器コードが巻きつき 身体周辺には血がこびり付いていた。急いで電話をしようとしたが見当たらない。仕方なく1Fの人に電話を借りて消防署や自宅に電話をした。部屋に戻り 妻のマタニティードレスをめくって我が目を疑った。腹は無残に切り裂かれ 見当たらなかった電話機とミッキーマウスのキーホルダーが入っていた。赤ちゃんのへその緒はちゃんと切られており 傷が下腹部についていたが救急車により搬送された病院で1時間の手術に成功。一命を取り留める。一方 妻のTさんは死亡が確認された。司法解剖によるとTさんの死因は絞殺。産道は閉じており、血液の量から 犯人はTさん殺害後 5分以内に腹を切り裂いて胎児を取り出したとみられる。腹部の傷は、鋭利な刃物でみぞおちから下腹部まで38cmに達していた。 凶器につかわれた刃物は犯人が用意したものと考えられ 殺害に使っていないところをみると 始めから胎児を取り出す目的で用意したのではないかと考えられる。 当時、一命を取り留めた赤ちゃんは現在日本を離れハワイ州で暮らしている。
新潟少女監禁事件 1990.11.13午後五時 新潟県三条市にて帰宅途中の当時9歳(小4)の少女Aちゃんを ナイフで脅し自家用普通車のトランク内へ押し込める。
途中、柏崎市内で粘着テープを購入し両手両足を縛り上げ再びトランク押し込み 自宅へ向かう。二世帯として増築された自分の部屋へAちゃんを担ぎいれ、「この部屋から出られない」「山に埋めてやる」「海に浮かべてやる」「俺の言うことを絶対守れ!」ナイフを腹に突きつけながら「コレをお前の腹に刺してみるか」と脅し スタンガンを押し当てて放電し 逃亡できないように恐怖を植えつける。2000.1.18 午後2時まで監禁。
福岡美容師ばらばら殺人事件 1994.3.3九州自動車道玉名PAのゴミ箱から 女性の左腕と左手首が発見される。山川PA右腕 翌日にはJR熊本駅コインロッカーから 胸部腰の一部がみつかる。福岡・熊本は共同捜査本部を置き 捜査に乗り出した。3月7日 遺体は福岡で美容師を勤めるMさんと判明し、容疑者として同僚で仲の悪かった江田文子(38歳)が浮上してきた。警察は2〜3日使用したレンタカーと熊本植木ICで使用した通行券に残った指紋を証拠に死体遺棄容疑で逮捕した。犯行を否認した江田は 自分も犯人に脅されていると訴えMさんの腕時計・手帳 (犯人から送られてきた)脅迫文など提出した。しかし 捜査本部は殺人に切り替え逮捕。厳しい取調べに 江田は犯行を認める。 「自分の男とMさんの仲を疑った江田は Mさんともみ合う内 喧嘩となり包丁で首を切りつけ殺してしまった。身元を隠す為バラバラにし捨てた」と供述。事件発覚後、夫と別れ旧姓に戻った彼女は正当防衛を訴えたが 1999年9月 最高裁に懲役16年を言い渡される。
参考文献:現代殺人事件史/バラバラ殺人の系譜/

 狂宴犯罪 1人で出来ない事も 複数なら出来る。 彼らは..限界を知らない。

・横浜ホームレス狩り事件 1983.2.10 横浜市中区 松影公園で43歳ホームレスが頭から血を流し死んでいるのが発見される。後日 加害者の親の通報で 中学生を含む10人の少年グループが逮捕された。彼らは「ホームレス狩り」と称し 他にも9人 公園に寝屯するホームレスを続々と襲い 殴る蹴る ゴミ箱に放り込み 転がして遊ぶ 石や空瓶をぶつける 石垣の上から飛び降りたり、腹を踏みつけ動けなくなったホームレスに小便をかけるなどいたぶり遊んで重軽傷を負わせていた。9人は少年院 1人教護院に送られた。少年らは「浮浪者は抵抗しないし、殴るとスカッとする。それに 汚い奴らがいなくなれば 街がきれいになる」と供述した。
・名古屋アック殺人事件 1988.2.22夜 名古屋 大高緑地公園にて19歳Aをリーダーとする女2人男4人のグループは 理容師Dさんと友人E子さんの乗った車の前後を塞ぎ 車からDさんを引きずり出した。鉄パイプや木刀で滅多打ちにし 車内で凍りつくE子さんを男4人で輪姦した。警察への通報を恐れた彼らはDさんをその場で絞殺。処理に困ったE子さんも翌日には「タバコが吸い終わるまで 綱引きしよう」とA,B 2人の男が両方から綱を引っ張って絞殺した。23日にはぼろぼろの車が発見された。 2月27日、目撃情報からAたちグループは逮捕され 三重県の山林から遺体が発見された。裁判官は「一片の情状酌量の余地もない」と 主犯Aに死刑判決、B人に無期懲役、他4人は懲役4〜17年の判決を下す。1996年12月控訴したAは 死刑判決を破棄され、無期懲役を言い渡される。
・女子高生コンクリート事件 主犯A・No2のB・C・Dの4人は 暴力団の青年部のような組織を作り C宅を溜まり場にし、毎晩のようにAの新車でナンパ(女狩り)に出かけていた。1988.11.25埼玉県 三郷市内にて 自転車でアルバイト帰りの高校3年生E子さんを捕捉、ホテルに連れ込み4人で輪姦した。「解放するのは惜しい、監禁しよう」とC宅に連れ込んだ。「捕虜」となったE子さんに 連日連夜 リンチ・暴行・レイプを繰り返し まるでおもちゃの様に扱った。食事も満足に与えず トイレにもいかせない 段々衰弱していくE子さん。Cの親も流石に薄々は気付いていたが 子供を恐れ何も言えず傍観を決め込んだ。1ヶ月以上たった頃 火傷した足の傷が化膿しついに動けなくなった。悪臭を放ち 衰弱しているE子さんをもてあますようになった四人は E子さんが失禁したのをきっかけに 容赦ない暴行を繰り返し 死に至らしめる。E子さんの死体はドラム缶に入れられコンクリートで固めたあと 東京湾埋め立て地に捨てられた。1989年3月 別の恐喝で捕まったAとBがこの事件を自供。未成年ながらその残虐性に日本は震撼する。1990年7月 東京地裁は 誘拐・監禁・殺人・死体遺棄の罪で 主犯A 懲役17年・他の3人は懲役3〜10年判決を下す。今もこの事件の余波は消えていない。
参考文献:現代殺人事件史
日本大量殺人 ワースト5
過去、日本で起こった大量殺人(組織犯罪は含まない)のワースト5を記載しておきましょう。
順位 犯人・犯罪名 被害者 数 場所 概要
1 津山事件 村人30人銃殺 1938 岡山 犯人の青年は自殺
2 帝銀事件 銀行員12名毒殺 1948 東京 未解決
3 古谷惣吉事件 12人の老人強盗殺人 1951-1965 福岡〜京都 死刑
4 小平 義雄 10人の女性・義父1人 戦前/戦後 関東 死刑
5 茨城一家9人殺人事件 9人一家 1938 茨城 自殺

参考文献:殺人学ハンドブック

事件年表
 * 紹介した事件は赤字で表示しています。

月 日    事 件 月 日     事 件
1932 2.08 首なし娘事件 1980 8.19 新宿駅西口バス放火事件
3.07 玉の井バラバラ事件 11.29 予備校生金属バット殺人事件
1938 津山事件 1981 6.11 パリ人肉事件
茨城一家9人殺人事件 6.17 深川通り魔殺人事件
1946 8.17 小平事件 1982 2.09 西成 覚せい剤常習者通り魔事件
1947 6.18 少年愚連隊強盗殺人事件 8.19 松山ホステス殺害逃亡事件
1948 1.26 帝銀事件 1983 1.31 勝田清孝連続殺人事件
1949 7.05 下山事件 2.10 横浜ホームレス狩り事件
7.15 三鷹事件
8.17 松川事件 6.13 戸塚ヨットスクール事件
11.24 光クラブ事件 6.27 練馬一家5人殺人事件
1950 1.07 二俣事件 1984 1月 三浦和義”ロス疑惑”騒動
2.28 財田川事件 3.18〜9.12 怪人21面相 グリコ・森永事件
7.20 金閣寺全焼事件 1985 1.26 山口組竹中組長射殺事件
1951 1.24 八海事件 6.18 豊田商事永野会長刺殺事件
4.24 桜木町事件 1986 5.20 トリカブト保険金殺人事件
1952 1.21 白鳥警部射殺事件 7.20 えい児9人連続殺人事件
1953 7.27 バーメッカ殺人事件 1987 2.22 藤沢悪魔祓いバラバラ殺人事件
1954 3.10 島田事件 1988 2.23 名古屋アベック殺人事件
10.26 二俣事件 3.18 名古屋妊婦殺人事件
1955 3.10 松山事件 1989 1.04 女子高生コンクリート詰め殺人事件
5.12 丸正事件 1.27 佐賀女性7人殺人事件
7.15 トニー谷長男誘拐事件 7.23 宮崎勤幼女連続殺人事件
1956 1.18 弁護士妻子殺人事件 11.03 坂本弁護士一家殺害事件
1957 1.30 ジラード事件 1990 5.12 足利幼女殺害事件
12.10 天城山心中事件 7.06 女子高生校門圧死事件
1958 8.21 小松川女子高生殺害事件 11.13 新潟少女監禁事件
1959 3.10 杉並CA(スチュワーデス)怪死事件 1991 7.12 ”悪魔の詩”殺人事件
1960 2.06 ホテル日本園殺人事件 1992 3.6 関光彦 一家惨殺事件
5.16 雅樹ちゃん誘拐事件 10.17 日本留学生射殺事件
10.12 浅沼稲次郎刺殺事件 1993 4.20 埼玉愛犬家連続殺人事件
1961 2.01 鳩中事件 1994 2.23 藤田小女姫さんハワイ殺人事件
3.28 名張毒ぶどう酒事件 2.27 福岡美容師バラバラ殺人事件
1962 11.40 草加次郎事件 6.27 松本サリン事件
1963 3.31 吉展ちゃん誘拐殺人事件 10.29 つくば母子殺人事件
5.01 狭山事件 1995 3.20 地下鉄サリン事件
12.08 力道山刺殺事件 7.30 八王子スーパー店員三人射殺事件
1964 12.26 杉並少年通り魔事件 1996 4.18 広島タクシー運転手四女性連続殺人事件
1965 5.22 農大ワンゲル部”死のシゴキ”事件 9.09 上智大学生殺人事件
11.09 古谷惣吉連続殺人事件 1997 3.19 東電OL殺人事件
1966 6.30 袴田事件 5.04 月ヶ瀬村拉致殺害事件
1967 8.28 布川事件 5.24 神戸 酒鬼薔薇事件
1968 2.20 金嬉老事件 1998 7.25 和歌山 毒物混入カレー殺人事件
6.11 横須賀線爆破事件 12.15 ドクター・キリコ事件
12.10 三億円事件 1999 4.14 光市母子殺人事件
1969 4.07 永山則夫連続射殺事件 9.08 池袋通り魔殺人事件
1970 3.31 ”よど号”ハイジャック事件 9.29 下関通り魔殺人事件
11.25 三島由紀夫割腹自殺 10.26 桶川ストーカー殺人事件
1971 5.14 大久保清連続殺人事件 11.11 ライフ・スペース事件
1972 2.19 連合赤軍あさま山荘事件 11.22 春菜ちゃん殺人事件
1973 8.08 金大中事件 12.21 てるくはのる事件
1974 3.17 甲山事件 2000 1.28 新潟女性監禁事件
8.28 ピアノ騒音殺人事件 3.17
8.30 三菱重工ビル爆破事件 3.24 埼玉本庄市保険金殺人事件
11.17 荒木虎美三億円保険金殺人事件 5.01 豊川市主婦殺人事件
1975 7.20 足利銀行女子行員二億円横領事件 5.03 佐賀少年バスジャック事件
1976 2.04 ロッキード事件 6.21 岡山金属バット殴打事件
1977 1.04 青酸コーラ無差別殺人事件 12.30 世田谷一家殺人事件
9.28 日本赤軍による日航機ハイジャック事件 2001 6.08 池田小学校児童殺傷事件
10.30 開成高校生殺人事件 2002 3.07 北九州監禁殺人事件
1978 7.11 山口組 田岡組長狙撃事件 11.25 ホームレス暴行死事件
1979 1.14 世田谷少年祖母殺し 2003 6.20 福岡一家4人殺害事件
1.26 三菱銀行猟銃強盗殺人事件 7.01 長崎園児殺害事件
2004 6.01 長崎佐世保小六女児殺害事件
11.17 奈良女児誘拐殺人事件
2005 11.22 広島小1女児殺害事件
12.01 栃木女児殺害事件

参考文献:現在の犯罪/作田 明

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