猟奇殺人者



アルバート・ハワード・フィッシュ

最高齢の幼児殺人鬼 

1870年生まれ。5歳で施設に預けられ 寮母の躾 鞭打ちにてSMに目覚める。除隊した海軍の兄の食人の話に深く興味を持ち 郵便配達員の少年からはスカトロを教えられる。塗装の仕事をしていた彼は 1898年 結婚し3人の子を儲ける。19年続いた結婚生活が破綻した後彼の精神もどんどん崩壊しいていった。彼は自分の子に釘を打ち付けた板で自分を叩くように強制したり 満月には生肉を食べさせようとした。雑誌広告で性的パートナーを求めたり 金銭や食事で子どもたちを誘い監禁し 強姦していた。
還暦を過ぎ 柔和で温和で情け深く親しみがあり 礼儀正しく見えたフィッシュは1928年求職広告を出していたグレース一家といとも簡単に仲良くなり 10歳のグレースを誘拐し殺害後 食す。6年後被害者の母親に宛てた 殺害内容を記した手紙から足がつき逮捕され 1910年〜1934年にかけ15〜400人までの幼児殺人を自白する。「抵抗する子どもの首を絞め頭を切り取って小さな塊に分け部屋に持って帰って料理する。小さなお尻をオーブンで焼いたら柔らかくて美味しかった。また薄切りにしてスープとして食べた。」食す事で性的興奮を覚えたとも供述している。善人の部分の彼は 子どもが大好きで聖書もよく読んだ。しかしもう一人の彼は自身の睾丸に針を刺しこみ 排泄物を食べ 肛門にアルコールを含んだ綿を詰めて火をつけ快感を得る異常性愛者であったが 彼は「自分は少し変わっているだけ」だと反論していた。1936年6月16日 心待ちにしていた電気椅子にかけられ死亡享年66歳(睾丸内の針の為 失敗したなどといわれているが ) 電気椅子に座った彼は「なぜここにいるかわからない」と呟いたと言う。





アンドレイ・チカチロ

ロシアの赤い切り裂き魔 

1936年10月16日 スムスカヤ州 ヤブロチュノア村で生まれる
幼い頃から 強い近視とインポテンツという肉体的コンプレックスがあり、それが 一生彼を悩ませることになる。しかし、ずば抜けた頭脳の持ち主で、学校でも一目置かれる存在であった。思春期になり まともな性行為が出来ないチカチロは自慰行為に耽るが、近視の彼は人に気が付かず、行為をよく目撃され、馬鹿にされていた。
1963年末、妹の取り持ちでフーナ・オドナチェバと結婚、2人の子を儲ける。結婚を機に、大学の通信教育を受け学位を取得し、小学校の教論の職を得る。そこで生徒に対し猥褻な行為を繰り返し(嫌がったり悲鳴をあげると我を忘れる程興奮した)、電車内での痴漢行為を繰り返した。それが学校で問題となり職を失ってしまう。職業訓練校に転職するが そこでも生徒に猥褻行為を行い、”変態ホモじじぃ!”と呼ばれ馬鹿にされた。生徒の格好のいじめの的になり、暴力を受けるようになると、護身用のナイフを持ち歩くようになっていった。
この頃には もう電車での痴漢行為だけでは抑えきれないほど欲望が膨らんでいた。ついに彼は1人の少女に声を掛け 押さえつけ、首を絞めレイプする。気が付き痛がる少女をめった刺しにして殺害する。発覚を恐れた彼は2年9ヶ月沈黙を守ったが、抑えきれない性欲に負け、さらに残酷な殺害を重ねて行った。
21人の少年14人の少女18人の女性を殺害。 犠牲者の悲鳴や苦痛の顔を見ると興奮し、切り裂き、心臓や舌・唇を食べ、指や性器を切り落とし目玉をくりぬいた。
1992年4月14日 ついに彼は逮捕される。頭の良い彼はすぐに自供。半年にわたる裁判の間、自慰や奇声をあげ、心神耗弱による病院送りを狙ったが、死刑判決が下る。
銃殺刑により死亡(1994.2.14)

アーサー・シャウクロス

ロチェスターの殺人鬼
*戦争は終わらない*

ベトナム戦争の帰還兵であるシャウクロス。しかし彼の中での戦争はまだ終わってなかった。1972年6月10才の少年が犠牲者になる。始めは子供とふざけあってたに過ぎなかったが 少年の飛び跳ねる水音が彼の導火線に火をつけた。ベトナムの戦場の攻撃開始のサインだ。反射的に 少年に一撃をくらわし殺してしまう。森に埋め腐ってきた死体を食べる。次には溺れかけた少女を助け強姦・殺し・食す。この事件で一度は捕まるが 影で検察側との取引でもあったのか 軍の圧力か 15年で仮出所してしまう。1987年以降場所を変え 放火・強盗・殺人・食肉を繰り返す。正気と狂気をさ迷い続けた彼だが 11人目の女性殺戮後 内臓をむさぼり食べる自分の姿が バックミラーに移り その狂気の姿に恐ろしくなり警官に助けを求め自首をした。今でもメディアに姿を現すこともあると言う。
懲役250年 服役中

アルバート・ヘンリー・デサルヴォ

ボストン絞殺魔

陰茎性性痴呆症これが彼の病名だった。いわゆる色情魔。彼は女性にバスト・ヒップのサイズを尋ねたり,写真を撮るなどと誘いいたずらをする『寸法取り魔』と呼ばれ 軽い刑に服した事もあったが ターゲットは主に55才〜85才の女性。13人をストッキング・枕カバー・ボウタイなどで飾りたて 絞殺レイプを行った。
後に「寸法取り魔」がボストン絞殺魔と判明する。高年齢女性への暴行は 母親を求める潜在意識 殺害はそのイメージの消去と推論された。
刑務所内にて囚人に刺殺される
(1973.11.26)

ウィリアム・ハイレンズ

二重人格の 「リップスティック・キラー 」
1945年6月 43歳未亡人ジョゼフィン・A・ロス首を刃物で刺され死亡する。12月 フランシス・ブラウンが首を指され銃弾を2発受け死亡。この時殺人犯はリビングの壁に真っ赤な口紅で「これ以上殺す前に頼むから僕を捕まえてくれ!自分をコントロール出来ない」となぐり書きを残してた為 以後「リップスティック・キラー」と呼ばれるようになる。1946年1月 6歳の少女スザンヌ・デグナンの死体の一部が彼女の家の近くの下水路で発見される。これら3人の犠牲者の共通点はきれいに洗い流された血と性的暴行を受けていなかった事。他にも銃の乱射や不法侵入者からの暴行などの被害が シカゴ大学の周辺で頻発していた夜盗の合間に横行していた。1946年6月 盗みをしていたハイレンズが現場を取り押さえられる。彼の自宅から「ジョージ」と書かれた犯行メモが発見され共犯者の存在が浮かび上がる。黙秘を続ける彼に自白剤を使用したところもう一人の人格ジョージが現れ 犯行の詳細を語り始めた。子どもの頃抑圧された性的衝動から 女性の下着を盗み 身につけることでしかオーガニズムに達する事が出来ず罪悪感に苛まれながらも 13歳でいっぱしの窃盗犯と放火魔になっていた。 (この頃から別の人格ジョージ・ムアマーンは彼の中に存在していた)しかし学業は優秀で 16歳でシカゴ大学に入学する。ハイレンズは1946年9月5日殺人罪に対する終身刑と他の罪の追加懲役が言い渡されるが 服役中の1977年大学の課程を修了学位を取得する。現在もイリノイ州の刑務所に長期服役中

エドワード・ゲイン Edward-Gein

死体加工   

1906年8月27日 ウィスコンシン州 プレインフィールド 生れ偏執的な信仰心を持った母親に育てられたゲインは、性=悪 という偏った教育を受けて育った。
広い農場に1人で住む、物静かで穏やかな彼に近所の人はよくベビーシッターを頼んでいた。1957年11月、保安官補が雑貨屋の女性が行方不明になった件で、最後の客だったゲインの家に訪れる。母屋に留守だった為、薪小屋を覗いた保安官は 内臓を抜かれ 血抜きされた女性の首なし死体を発見する。母屋に戻った保安官補はダイニングルームで皿に盛られた心臓・被害者の頭部や内臓を見つけ出す。外食に出ていたゲインはそのまま逮捕。
犯行は認めたが、心神喪失状態だったと供述する。家宅捜査に向かった警察官たちは我が目を疑った。家の中は死体だらけ..頭蓋骨で作ったスープ皿、人骨のスプーン、皮膚で出来た乳房付チョッキやベスト、カバンやポーチ。糸で吊下げられた唇。ガビョウで止められた顔の皮膚。漬物にされた臓器.。ゲインは墓場から死体を持ちかえっては屍姦を繰り返していた。女性願望も強く、乳房の付いたチョッキを着て、性器付き女性下着を身に付けるのが、彼のもう一つの楽しみだった。
1957年 ウォーパン州立精神施設に生涯収容。78歳・病院内にて癌により死亡(1984.7.26)
映画”悪魔のいけにえ””羊たちの沈黙”の殺人者バッファロービルのモデル。

エドマンド・エミール・ケンパー三世

恐怖のヒッチハイカー

ケンパーの殺人は15才の時、祖父母を殺したのが始まり だった。身長は2mを超え 体重は130kg以上ある。
女子大生をターゲットにヒッチハイクを行い 首を切り落とし 死姦し 完全征服の意味も込め肉の一部を食べた。
しかし、彼の本当のターゲットは 実は母親だった。始終、小言ばかりゆう母...自分を生んだ母...彼女を殺すしかないと心に決め実行。母親の首を切り落とし 声帯をえぐりディスポーザーに押し込んだ。その後、コロラドまでドライブし 逮捕を待ったが 一向に来ないため 地元警察に自首した。現在 模範因として 収監中


ゲーリー・L・リッジモンド
Gary Leon Ridgway
グリーン・リバー・キラー
      別画面

ゴードン・カミンズ

闇の切り裂きジャック

1942年のイギリスで 2月9日から15日間で4人の女性が殺された。
4人のうち3人は喉や体を切り裂かれていたため「闇の切り裂きジャック」と呼ばれる。しかし5人目の犠牲者に逃げられ次の犠牲者が出る前に 犯人が残した指紋・登録番号入りのガスマスクケースから 兵士ゴードン・カミンズ28歳が逮捕される。    1942年6月 死刑執行

シアダー・ロバート・バンディ
(BUNDY,THEODORE ROBERT)

 多重人格のセックス・キラー 

1946年11月24日生まれ
アメリカ一有名なシリアルキラー
ハンサム・インテリで目立つ事が大好き。
反面、臆病者な覗き魔・ストーカー。
相手が意識不明・死姦でしか満足できない性癖の持ち主。

1974年1月31日ワシントン大学の学生リンダは、ベットに血痕を残し行方不明となる。
1974年3月12日エバーグリーン州立大学の学生ドナはコンサートの途中に、4月17日ワシントン州立大学の学生スーザンが、映画の途中で消息を絶つ。5月6日学生キャスリーン、6月1日ブレンダ、11日学生ジョーガン、7月14日ジャニスとシアトル地区の若い女性が続々と姿を消していった。ジャニスが消息を絶つ前、ドリスはサマニッシュ湖の畔で1人のハンサムな男に「車にボートを乗せるのを手伝ってほしい」と頼まれるが断る。男は続にジャニスに頼み彼女がOKする姿をドリスは目撃している。その時名前を「テッド」と名乗っていたのを聞いた。9月7日 ハンターがサマニッシュ湖から少し離れた丘の斜面の草むらで野生の動物が食い散らした3体の死体を発見する。2体は身元が判明。ジャニスとデニーズであることがわかった。10月12日 ワシントン州クラーク郡でハンターが腐乱した骸骨を見つけ、捜査の結果2体の死体が発見される。この時点で捜査には2千人以上の容疑者が浮上した。テッドもその中の1人であった。10月2日ナンシーが、10月18日には警察署長の娘メリッサが消え、9日後山地で遺体として発見される。メリッサはレイプ後絞殺されていた。
1976年8月16日 テッドは車の中にスキーマスク・アイスピック・バールなど不振な道具を隠し持っていた事、車内に有った頭髪がメリッサのものであることが判明しソークシティで逮捕され、1977年身柄をコロラド州に移される。
学があり、ハンサム、弁の立つ彼は刑務所でも有名人。自分自身の弁護士役をかってでる始末だった。
看守も油断していたのか1977年6月7日、刑務所の図書館の窓を開き9m下へ落下、脱走したが 8日後スマッグラー山で
捕まる。次は1978年12月30日、独房の天井の照明器具の周りをくりぬき、わずか30cmの穴から脱走(計画的に減量していた)フロリダ州を放浪した。盗んだカードで前と同じような生活を始め、またもや犯罪に手を染める。
1978年1月15日、女子寮に侵入 こん棒で女学生2名を撲殺、レイプ。数ブロック離れた家の女性も殴るなど暴行を加えている。
2月6日、盗んだ車で誘った女性 キンバリーを殺し (死体は1978年4月7日スワニーリバー州立公園の納屋で発見される)盗難車を運転中パトロールの警官に捕まり 偽名もばれ テッド・バンディであることを自白、再逮捕される。
同月27日抵抗するテッドの歯型をとり死体についた歯型と照合、女子寮で起こった惨劇の犯人であることが証明される。
タラハシーの裁判所でも無罪(二重人格による心身喪失)を主張したが、1979年7月23日有罪判決をうけ、
1989年 1月24日 フロリダ スターク州刑務所 電気椅子にて死刑


ジェフリー・ダーマー

ミルウォーキーの食人鬼

1960年 オハイヨ州バース 中流家庭で生まれる。
「スターウォーズ」のダースベーダーに憧れ、相手を徹底的に支配する事を夢見ていた。

1978年最初の殺人を犯す。酒場からの帰り、1人のヒッチハイカーを拾う。彼はダーマーが夢見ていたシュチュエーションで現れる。直ぐに車を止め、自宅のベッドルームに連れ込みビールを振舞う。相手がゲイでないと知ると、鉄アレイで頭を殴り、喉を押さえて殺した。死体の腹をナイフで切り裂き、内臓を抜き取り、マスタベーションを行う。内臓を捨てに車で谷底に向かうが途中で警察に止められ、飲酒テストを受ける。「袋」の中身を指摘されるが「生ゴミ」だと答えると特に調べる事はしなかった。結局、自宅床下に死体と共に放置する。
2度目の殺人は、9年後1987年 その間に 死体で性欲処理しようと考えたが 墓を掘る事が出来ず諦める。
バーで引っ掛けた男性とホテルへ。しこたま飲んだ後気が付けば相手を 撲殺していた。スーツケースを購入し、死体を自宅に持ち帰る。頭蓋骨を残し 後はばらばらグジュグジュにし、
生ゴミにだす。その後、1人暮らしを始めた。一度、14歳のラオス人の少年をモールで写真のモデルを餌に新居へ連れ込んだが、少年は運良くダーマーの魔の手から逃げる事に成功する。この件で ダーマーは性犯罪の第二級重罪に問われるが、保釈金で投獄を逃れる。
ダーマーの殺害方法は、モールやバーで好みの男を物色し、酒やモデルの仕事で自宅へ誘い、アルコールや薬で意識を失わせる。慣れていくと、頭蓋骨に穴を開けて熱湯や塩酸を注入するなどエスカレートしていく。死体もばらばらにし、大好物の上腕二頭筋など自分の食する部分は冷蔵庫に保管、
残りは塩酸で溶かし、骨だけにするなど死体処理方法も緻密なものとなっていった。その臭いは隠せるものではなく管理人が何度か部屋を訪れたが、「塩酸と下水戸のせいだ」と言うとあっさり引き下がった。実際、ベットルームや冷蔵庫 バスルームには死体や残骸が散らばっていたにも関わらず、誰もそれに気付く事はなかった。
ダーマーは相変わらず 被害者の写真・ビデオと遺体の一部を前にマスターベーションを繰り返した。
1988年に2人 1989年1人 1990年4人 1991年8人と彼の犯行は加速していった。
1991年5月 最後の被害者はあの3人目の少年の弟。モールから誘い込んだ少年に性的暴行を加え、裸で逃げ出した彼を 警察は、追ってきたダーマーに引き渡したのだ。少年は絞殺され、ダーマーの食料となった。この時も警察は自宅を調べる事もせず、すぐに立ち去った。
1991年7月 手錠をはめたまま逃げてきた黒人男がパトロール中の警察に助けを求める。ダーマーの部屋を訪れた警察官はその残状に嘔吐しそうになる。部屋にたちこめる悪臭。蝿がたかり、汚れた食器や残飯は放置されたままだった。
水を1杯求め、目に付いた冷蔵庫を開けると、生首 臓器 腕 足が入っており、鍋にはトマトソースで煮た脳が2つブロッコリーのように浮いていた。ドラム缶に入った塩酸の中には 溶け残った内臓が浮かんでいた。
ダーマーはその場で逮捕される。
80%以上が黒人と有色人種地域だった為 彼の被害者のほとんどが黒人・有色人種。
差別殺人だとも言われ、黒人に刑務所内にて殺害される(1994年11月)

ジョン・ジョージ・ヘイ

悪魔の殺人鬼

1949年2月、デュラン・デーコンという年配女性が行方不明になる。捜索願を出したのが誰あろうこのジョン・ヘイだった「会う約束をしていたのだが来なかった」 得意げに記者会見までも行う。警察は前科のあるヘイを監視下におき かれの倉庫に踏み込んだ。そこには彼女の宝石等が見つかり逮捕される。始めは作り話でごまかしていたが、そのうち「夫人の死体は濃硫酸で処分した」と白状しだす。(死体は濃硫酸の桶に入れられて溶かされた)死体がないと無罪という考えを得意になって吹聴したかったからだ。実際には罪体(犯罪の実質的事実)を勘違いして解釈してしまっていた。他にも2人殺害し濃硫酸で溶かし、理由は「血を飲むため」と狂気を装った。 しかし、現場に残った。残り滓が犯罪の実質的事実を証明し、有罪。
1949年8月6日 ウォンズワース刑務所で処刑される。

ジョン・ウェイン・ゲイシー

ピエロ姿のゲイシー   

1942年3月17日 シカゴ生まれ
11歳の時にブランコで頭部を打ち 以来、記憶喪失症に悩まされる。
実業高校卒業後、セールスマンになり、職場結婚。 妻の実家のフライドチキン事業を経営。従業員の少年にSM・ソドム行為・フェラチオを強制し「矯正施設」に収容されている。これを契機に離婚。1年半後保釈となり、1971年少年への猥褻行為でまた逮捕される。1972年には再婚して建築業を始める。しかし、性的不一致と家に立ちこめる悪臭に嫌気が差し、1976年に離婚。離婚後、ゲーシーは人目も気にせず、若い男や少年を家に連れ込んだ。1978年12月薬局で行方不明になった少年の捜査から、内装を受け持ったゲーシーが浮上する。彼の家の地下室には、29体もの遺体が 放置されていた。32人の殺害を認め、その殺害方法が明らかになった。雇うという名目で若い男の子たちを家に連れ込み、酒やドラッグを勧め、手錠や縄で拘束し、性的暴行を加え、拷問を繰り返し殺害する。
反面、町の福祉や行事には積極的に参加し、子供達の誕生日パーティにはピエロ姿になって芸を披露し、人望も厚かった。
ピエロ姿のゲイシーは スチーブン・キングが「IT」のモデルにした。 注射による死刑(1994.5.10)

 チャールズ・マンスン 

 カルト宗教集団「ファミリー」

1934.11.12 ケンタッキー州アッシュランド生まれ。
「1杯のビールと交換された子」それほど親子関係は希薄なものだった。ほとんど親戚に預けられ小学校入学時には 少女の格好までさせられていた。母親は刑務所を出入りしており バイセクシャル。マンスンも少年院を出たり入ったりしながら 看守にひどい性的虐待・拷問を受ける。脱獄・服役を繰り返しながら ある時 彼は「新世界」を作り出す事になる。社会をはみ出した若者たちの暴力と狂乱の集団「ファミリー」の彼は指導者となる。金・セックス・同性愛・暴力・ドラッグ 入り乱れるこのファミリーの犯行は1967.31〜8.10の間に8件にも及ぶ。ハリウッド女優をも巻き込んだこの事件は いずれもナイフで切り裂かれた惨殺死体と血で書かれたメッセージ「くたばれぶたども!」「立ち上げれ」「ヘルタースケルター」が残されていた。捕まった容疑者がマンスンとファミリーの関与をほのめかした為 その存在が明らかとなり マンソンは逮捕され 死刑及び終身刑を宣告されている。
刑務所に入ってからも彼への崇拝は収まらず マンソンが作詞作曲した アングラアルバムが出回ったり 十代の若者がファミリーもどきを作ったり 刑務所へも何百通ものファンレターや面会の申し込みが後をたたない。

ディヴィット・リチャード・バーコウィッツ  

サムの息子 

「44口径の殺人狂」とも呼ばれ カップルなど 17人を襲い6人射殺 失明 半身不随させた。
彼は「無秩序型犯罪」の典型で単純労働しかできない怠け者で内気人付き合いも悪くいつも汚い 部屋で夢想ばかり耽っていた。
”サムの息子”と呼ばれたのは 自分がこんな殺人を犯したのは 「サム・カー氏の飼犬が 実は 6千歳の悪魔がとりついていて自分に生贄を要求する為だ」と話した事からで 飼い主の名にちなみそう呼ばれるようになった。 365年禁固刑

デニス・ニルセン Dennis Nilsen  

 英国の大量殺人鬼

1945年11月23日 フレーザーバラ 生まれ。内に秘めた自分の性癖(同性愛者)をもてあまし、人に拒まれたり、否定されるのを極端に恐れる。
16歳の時制服に憧れ軍に入隊、12年勤め脱隊。やはり制服に惹かれ警察官に。1年弱で辞める。警備員1年弱、職安の職員と職を転々とする。1975年11月、ニルセンはデビィット・ガリガンという若い男と同棲を始める。ガリガンは肉体関係を断り、言う通りプラトニックな関係が続いた。1977年5月、穏やかな2人の生活は終わりを告げ、ガリガンは去っていった。ニルセンの凶行はこの時から始まる。同年12月、バーで知り合ったアイルランド人の若い男を絞殺。衣服を脱がせ体を綺麗に洗い、再び衣服を着せる。そしてビニール袋に入れ床下に1978年8月まで保管し、庭で焼却処理する。この殺人で 逮捕されると覚悟していたが、警察は一向に姿を現さなかった。1978年11月、バーで中国人男性と知り合う。この男はニルセンが絞殺しようとしたところ反撃し、逃げ延びる。警察に全てを話したが、警察は「男が盗みを働いた」と言うニルセンの言い分を信じた。1979年12月、23歳カナダ人のケネス・J・オッケンデンを電器コードで絞殺。持っていた大金には手を掛けず破り捨てた。1980年5月、16歳の肉きり職人と性交渉後絞殺。オッケンデンと死体を並べる。以後、1980年7月〜1983年2月まで12人、計15人を自宅に呼び絞殺後、遺体を洗い、床下に保管(何体かはバラバラにした)。腐敗が進むと庭で焼却するを繰り返した。
最後の殺人は1983年2月1日、被害者は麻薬中毒者。絞殺後、頭を切断し、鍋で煮る。翌日アパートの住民から「下水道が詰まっているらしい」と苦情が出、それを知ったニルセンは肉片を除去する。しかし 配管技師が残った肉片を発見し、それが人間のものだと判明。1983年2月8日 訪れた警官に自白し、その場で逮捕される。裁判は1983年10月24日に始まり1983年11月24日に終身刑を受ける。
(頭を煮た)鍋は 英国のブラック博物館に展示されている。

デニス・レイダー
BTK
別画面


ピーター・サトクリフ
 

ヨークシャーの切り裂き魔
1975.10.29〜1981.1.21の間に 13人もの犠牲者をだす。ヨークシャーの女性(主に売春婦)を狙い ハンマーで頭を殴ったあと体を切り裂く 被害者のジーン・ジョーダン20歳は 頭を11回殴られ 24ヶ所を刺され 再び8日後には服を全部剥がされて 腹部から腸を引っ張り出され左肩から右膝にかけてぐるぐる巻かれた。1981年売春婦と一緒だったこと ロープを持っていた事 ハンマー・ナイフを隠したところを見つかって逮捕となる。売春婦を狙ったのは 大好きだった母親の不貞を知ったからとも 売春婦とのつり銭でのトラブルからとも言われている。死刑制度のないイギリスでは この殺人者はわずか30年の服役の勧告付きで終身刑

    ****もう一人の「ヨークシャーの切り裂き魔」******

警察の必死の捜査もむなしく、犯人はつかまらずにいた時、一人の女性が現れた。彼女の名はネラ・ジョーンズ。ロンドン警察に20年にも渡って協力してきた、透視能力者だった。彼女は対象物をイメージし、今どこにいて何をしているかをイメージする能力を持ち、数多くの事件を解決に導いてきていた。 ピーターはトラックの運転手で、Cで始まる名前の会社に勤めており、ブラッドフォードの高台に住んでいるという。また彼には女装の趣味があり、11月17日にまた人を殺すであろう、被害者のイニシャルはJ・Hだという予言までネラは残した。そして 1998年11月17日、13人目の被害者が出た。ジャクリーン・ヒル。イニシャルはJ・Hだった。
犯人が捕まった後 ネラは不思議に思った。ピーターは女装癖がなかったからだ。また、犯人は犯行声明文とテープを警察に送っていたが、ピーターは送っていないと言う。「ヨークシャーの切り裂き魔はもう一人いるわ」。ネラはそう確信した。しかし 1998年、ネラはもう一人の切り裂き魔の逮捕を見ぬまま、この世を去った。さて 真実はいかに.....?!

ヘンリー・リー・ルーカス 

鉄格子の中の捜査官. 
「ハンニバル・レクターのモデル」

1936年8月23日 丸太小屋で売春婦の母親とアル中マゾの父親の間に生まれ、生後まもなく虐待を受ける。授乳ごとにペニスをつねられ、泣けば床に叩きつけられ、意味もなく殴られた。
幼少時代は少女の格好をさせられ、母親と客とのsexを眺めさせられた。小学校の頃、母親と薪拾いに行き、母親の持った角材で頭を負傷 怒った彼女は、気絶したヘンリ-を何度も殴りつけた。血だらけのヘンリーを野ざらしにし、病院に連絡したのは母親の客だった。そんなヘンリーを気に掛ける教師のアニーはヘンリーを食事に招いたり、「養子にしたい」と申し出たが、母親は「こいつは一生、私の奴隷なのさ」と相手にしなかった。
悲劇は 起こった。 ヘンリーの前の席のやんちゃ坊主が先生の言うことを聞かず アニーは彼に向け定規を投げた。ひょいとかわされた定規はヘンリーの左目に当たり眼球が破裂し、義眼となる。唯一の見方は学校を去り、ヘンリーは2つの光を失ってしまった。
学校に行かなくなったヘンリーは兄と二人森に出ては同性愛にのめり込んだ。動物を切り裂いて、小道具にも使った。その後、兄は軍に入隊し、自分は義眼の為、入隊拒否を受ける。最初の殺人が15才の時、17歳の少女を犯して殺した。その後、窃盗で捕まり 未成年者更正施設や少年院を出入りし、1959年9月に社会復帰する。
その後、知り合ったマリーと結婚の約束をするが、結婚式の前日、母親が2人の前で醜態をさらす。モーテルに戻ったヘンリーは母親の喉を切り裂き頚骨を外に引きずりだそうとした。母親殺害で40年の刑を受ける。
刑務所で模範囚の彼は、資料室の係りとなった。
他の服役者の資料から色んな犯罪の手口を覚え、警察側の捜査技術の研究など、プロの犯罪者としてのノウハウを身につける。
10年後 ミシガン州刑務所は経費削減の目的で 「ここを出たらすぐにでも殺人を犯してしまう」と出所を拒んだヘンリーを仮釈放する。3ブロックはなれた場所で女性を絞殺。金品を奪って逃亡する。1979年 フロリダ州で同性愛者のオーティスと知り合い意気投合した2人は、暴行・強盗・殺人をゲームのように楽しんだ。殺人依頼も受けるようになり 秘密組織「死の腕」の一員となる。
ヘンリーはオーティスに紹介されたいとこのベッキーに惹かれ恋人になる。しかし彼女は、「祈りの家」という宗教集団にのめり込んでいき、それが原因で、ベッキーの喉を切り裂いて殺害。動転した彼は、オーティスに相談する。オースティスはヘンリーが”祈りの家”の主要人物ケイトを殺害している間に、ベッキーを死姦し食べていた。
またしてもうまく逃げられるようにみえたが、コテージに隠してあった拳銃から硝煙反応が出、逮捕される。
追い詰められパニック状態のヘンリーは、その時神の声を聞く。次の日彼は「全てを話します」と自供を始めた。300件以上の殺人で起訴され、死刑判決を受ける。

その後「ヘンリー・ルーカス連続殺人事件特別捜査班」の正式メンバーとして 鉄格子の中から助言していたが、
2001年 刑務所内にて心臓発作で死亡。

ペーター・キュルテン

デュッセルドルフの吸血鬼

彼の犯罪は映画『M』の題材となった。虐待 近親相姦 暴力 幼い頃から彼の環境は最低だった
やがてサディズムが加わり血に対して異常な関心
をもつようになる。動物を殺し血を飲み興奮を味わっていたが それが人間にエスカレートしやがて殺人 死姦 そして 切り裂いた首や手足から吸血を行うようになっていった。
彼の外見は紳士で とても親しみ安く結婚もしていたため犯人対象から外され その間にも男女子供問わず犠牲者になってしまったが ある女性をレイプ未遂でおわらせてしまった為逮捕される。
ギロチンにより死刑..(1931)

処刑日の朝彼は「頭が切り離されたあと 一瞬でも首からほとばしる血の音が聞こえるでしょうか?それが.すべての快楽をしめくくる最後の悦楽になるでしょうから..」と告げた。

リチャード・レイバ・ラミレス

ナイト・ストーカー 

1985年 ロスにて襲撃事件が多発する。家の寝室に押し入り 男性は銃殺・女性子供は強姦(63歳老女から少年まで..)・暴行・時には銃殺し市民を恐怖に陥れた報道陣は 犯人を「ナイト・ストーカー」と名付る。被害が20件を超えた頃 ナイトストーカーは場所をサンフランシスコにかえそこで大きな失態を起こす 襲撃した家の妻から車のナンバープレートを覚えられてしまったのだ。車から採取された指紋でラミレスが浮かび上がってくる。新聞に顔を載せられたラミレスは ロスのスペイン系住居地にて市民にリンチにされる直前に逮捕され 現在も死刑因棟にいる。悪魔崇拝者・なかなかのルックスの彼には追っかけファンまでができ 1996年秋 女性記者と刑務所内で結婚式をあげる

リチャード・チェイス

サクラメントの吸血鬼 

1950年カルフォルニア州サクラメントの中流家庭に生まれる。
内気で行儀の良い子であった彼は10代半ばから アルコールとマリファナに手を出し堕落していく。1970年頃から彼は自分の循環器系機能に強い関心を示し 「自分の血が日毎薄くなり心臓が弱まっていく」という妄想に取りつかれてしまう。身の回りにもかまわなくなり 不潔な彼に友人たちも去り 親の離婚 も重なり孤独の中で妄想だけが大きく強くなっていった。農場から貰うウサギ血を飲み出し 精神科の病院に入院する事になる。そこでも 鳥の首をへし折り 血を吸っていた事から院内でも「吸血鬼」と呼ばれていた。1977年7月退院した彼はどんどん現実逃避した生活になり 犬や猫を食料として買いあさっていた。同年8月ネヴァダ州の砂漠にて素っ裸で血だらけのチェイスが逮捕される。真っ赤に汚れたライフルとバケツ1杯の血が一緒に見つかったが 牛のものだとわかると釈放される。
すでに彼の 血の食物連鎖は暴走していた。1977年9月 51才アンブローズ・グリフィンを殺害。1978年 冬 妊娠中のテリーザ・ウォリンを射殺後 腹を切り裂き ヨーグルトのカップで彼女の血を飲む。同時期 イヴリン・マイロス家の家族3人と友人を射殺。赤ん坊の死体を持ち帰る(後 ボール箱に詰めこまれ首を切断された死体が教会のゴミ捨て場で発見される)が 5日後目撃者が現れ サクラメント警察により家宅捜査が行われ 逮捕される。部屋中に悪臭が漂い血の跡がこびり付き ミキサーには血と筋肉組織の痕跡 カレンダーには事件の起こった日に「今日」と記されていた。1979年 サン・クェンティン刑務所にてガス室での死刑を宣告されるが 1979年12月26日 こっそりためておいた薬を一気に飲み干し 自殺する。

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